技術論

はじめに

2002年の開校から20年、時代は少しずつ変わって行きました。
以前このページはギターの各種テクニックについての説明がされていました、
当時その様なwebサイトも少なく、教室の宣伝とアクセスアップが主な目的でした。
2022年の現在、YouTube等ネットにはギターの奏法についての情報は沢山あります。
以前の様な形式でのこのページの運用に意義が感じられ無くなった事もあり、
内容を大幅に変える事にしました。

ギターの奏法のノウハウについては色々な方法論があり、中には正反対の主張も見受けられます。
そういった巷に溢れる情報を分析し整理する事が現在の私の研究の中心でもありますので、
そういった話を中心に進めて行きます。
実際にお金を払って教室に通ってくれている生徒さんの為に、
全てをここで明らかにはせず肝心な事は濁す事になりますし、
基本的に無料体験レッスンでお話出来る事が中心になります。
また、全てが完全に実証されているわけではないので仮説も含めてのお話になります。

身体感覚の違い

私の指導法の核となる部分です、これを認識、理解する事でレッスンがとて もやりやすくなりました。

○身体のタイプ
主な身体のタイプとして2種類あります。
・白人・黒人(アフリカ系)に多いタイプ・アジア系(中東系も含む)に多いタイプ

アジア系に関しては生徒さんとのレッスンを通じて実証出来ています。
白人・黒人に関しては現実に接する機会も少ないので、今の所仮説の域を出ないのですが、
私としてはかなり確信を持っています。
いずれにせよこの二つは大まかな傾向に過ぎないのでさほど重要ではありません。
大事なのは次に挙げる3つのタイプです。

○身体の使い方の3つのタイプ
・体幹系
・末端系
・超末端系

文章での表現が少し難しいのですが、ギターで言えば、
「手」を使う時の無意識に感じている感覚の範囲です、

・体幹系 前腕の先端から指先まで
・末端系 指の第二関節から指先まで or 手首の関節の手側から指先 まで
・超末端系 指の第一関節から指先まで

細かな誤差はあるかもしれませんが大体この様な傾向となります、
どの人種にも全てのタイプが存在しますが、
白人、黒人は「体幹系」の人が多く、アジア系は「末端系」が多いです、
この傾向の違いはひょっとしたら「狩猟民族」と「農耕民族」の違いなのかもしれません。
「超末端系」はどの人種でも五分の二くらいの割合でいると思われます。
簡単にまとめますと「体幹系」はより身体の多くの部分を使って演奏し、「末端系」→「超末端系」の順で使う部分は減って行きます。

私は、よく言われる白人黒人とアジア人のリズム感や動きの違いがここにあると考えています。
私のタイプは「体幹系」になります。「体幹系」は前腕も含むのが特徴です。
(私の演奏は10代の頃から「外人みたいですね」と言われる事があるのですがこの事と関係がありそうです)

音楽関係で考えますと

欧米の主流は「体幹系」
日本の主流は「超末端系」

になります。
そう、日本の主流は「末端系」では無く「超末端系」なのです。
ここである混乱と問題が生じてしまいます。

実はこの身体の使い方は、ある力とリンクしています、
(スピリチュアル系ではありません、また、すみませんがこの部分は生徒さん以外は内緒です)
この力が強い順に「体幹系」「末端系」「超末端系」になります。

この力は鍛える事が出来、元々の自分のタイプ以外の要素を取り入れる事が出来ます。
「体幹系」には「末端系」の要素
「末端系」には「体幹系」の要素
「超末端系」には「末端系」と「体幹系」の要素
という具合です。

各要素のイメージは
体幹系  「伸びる力」
末端系  「縮む力」
超末端系 「強張る力」
です。 

主流の違いによる問題点

「体幹系」「末端系」には元々「超末端系」の要素は備わっています。
「体幹系」「末端系」にとって「超末端系」の要素は「力みの要素」にな ります、動作の為の力ではありません、
身体を固定したり、重いものを持つといった、思いっきり力を入れて強 張った状態の力 です。
(「超末端系」の方は元々強張っているので、あとは強張り具合の調節になります)
そして日本の音楽界ではプロアマ含めて「超末端系」が全体の7割位の割合と思われます(もっとかも?)、
一般社会での割合よりも多いです、理由はよくわかりません、
白人、黒人は「体幹系」、アジア人は「超末端系」に音楽が向いている人が多いだけかもしれません。
(一般社会は「末端系」が多いと思われます、アジア系の「体幹系」は1割以下と思われます、音楽界であればさらに少ないかもしれません)

欧米では単純に、楽器や歌が上手くなりたければ「体幹系」の動きやノウハウを参考にすれば良いのですが、
日本だと「超末端系」の動きやノウハウは、それ以外のタイプにとっては、
自分の本来の能力を削ぎ、力みの元になってしまう危惧があるのです。
また「超末端系」「末端系」と「体幹系」は、基本的な動作等があべこべになっている事が多いです。
この事は、私の修行時代に直面した問題点でありま す。

実力が今ひとつ足りないと感じる人がステップアップを目指した時に、
その人に最適な指導方がないばかりか、逆効果になってしまう事もあり、
頑張れば頑張るほど逆効果になってしまう。
私の場合は主に周囲との感覚のギャップに違和感を覚えていました。

私は多少なりともそういった事をはねのけやっていける力がありましたが、
当時はその原因が分かっていなかったので、今となっては、
正直、悩まなくて良い事で悩む事になったりもしたのだなと思います。
楽器であれ歌であれ、私の生徒さんでもその様な事で迷ったり、悩んだりしていた人もいます、
そういった私がかつて感じた思いと同じような境遇にある人の為にも、
「人それぞれに合った」指導方を目指しています。

だからと言って「超末端系」の方の指導法等を真っ向から否定するつもりはありません。
そのやり方が合う人には合うのだろうし。
一生懸命考えて真剣にやっている人も多いと思います。
自分が正しいと言うより、皆自分を信じてやれば良いと思います。
私のやり方は選択肢の一つに過ぎません。

また「超末端系」の方は身体の使い方のエネルギーは低いのですが、音楽家としダメな訳では無く、
日本で音楽をやるならば「感覚をより多数と共感出来る」という面でメリットですらあります、一流と呼ばれている人もたくさんいます。
(もちろん日本人の「体幹系」「末端系」でも一流の方はいます)
洋楽とは別物なだけでそれが日本(アジア)の音楽だったりします。

ただ「体幹系」「末端系」は「超末端系」の力をメインで使う事が出来な いので(力むので)、
エネルギーの低い多数派にエネルギーが高い方が合わせなければならない と言う、
ちぐはぐな事が起きてしまっていて、それが先に挙げた問題を産んでし まっていると思います。
悪意は無いのに、結果的に人によっては力む行為を推奨してしまう事もあるのです。
私は他者を批判するよりこの問題をなんとかしたいのです。

次の項では、何故それぞれのタイプにギターが上手な人がいるのかのお話です。

ギターに合った身体能力について

「身体能力が高い」と聞くとスポーツの得意な人を思い浮かべると思います。
ただ、アスリートでも全ての競技が得意な訳では無く「足は速いけど泳げない」なんて事があったりします。
何事にも向き不向きがあります。

ギターに限らず、自分が努力しても出来ない事を簡単にこなしてしまう人がいます。
いわゆる「才能」と言う物ですが、簡単に言えば「ギターに対して身体能力が高い」人は、
「非常に効率よくギターに力を伝える」事が出来ます、もっと簡単に言えば「力みにくい」です。

前述の3タイプのどれに属していてもこの「ギターに対しての身体能力」が高いほど、
「ギターの技術が高い」と言えます。
「体幹系」は、より身体の多くの部分を使う為ギターに合わない部分をよ りフォローし やすいです、
また「末端系」や「超末端系」の人でもギター演奏にこの力をメインで使 えるようにな ります。
(生徒の皆さんが実証してくれています!)

次項の「身体の癖」と合わせて自分のタイプを導き出して行きます。

身体の癖について

「ギターに対しての身体能力が高い、低い」の要因の一つとしてこの身体の癖がありま す。
例えば「体幹系」の人が全て同じような方法論でうまく行くかと言うと、そうでは無く、
どのタイプでも個人個人で身体の癖があります。

例えば、フィンガリングの親指の位置一つとっても上が良い人と下が良い人と分かれます。
そんな事象が無数にあります。

私が他の人の方法論を頭ごなしに否定しないのは、この事がある為で、
「その人が言っている事は、その人にとっては正しいのです」
哲学みたいに言い方になってますが、ピッキングの仕方一つとっても意見が割れたりするのは、
「身体のタイプ」や「身体の癖」が要因にあり、それを踏まえずに自分が正しいと主張してもしょうがないのです。
(流れの中で批判的な物言いになる事もありますが)

また、ネット上で強い言葉や侮辱的な言葉で他者を批判する人をたまに見かけますが、
私から見ると、結構すごいブーメランになって事も多々あり、反面教師として他者への批判は控えているのもあります。
どのタイプであれ「ギター愛」が感じられる人への好感度は高いです。

次項では「身体のタイプ」と「身体の癖」に関する事例です。

「身体のタイプ」と「身体の癖」に関する事例

どう言う話をしようかと考えた時に適切と思えたのが、いわゆる「指先のピッキング」 「屈伸のピッキング」
についてで、よく質問も受けます。

指練習の時に「先生のその指先のピッキングはどうやっているのですか?」と質問されるケースが多いですが、
私は「勝手に動いているだけなので、最初から出来る人以外は無理してやらなくて良いと」と言います。
これは「身体の癖」の部分で「むしろ最初から出来ない人が無理にやろうとすると・・・」と続いて行くのが
「身体のタイプ」の話になります。

「指先のピッキング」自体は、どの人種のどのタイプでも見られますが、
見かけの動作は同じ様でも、そのシステムは全く別のものです。
「超末端系」や「末端系」の人の「指先ピッキング」は本当に指先のみを使いますが、
「体幹系」の「指先ピッキング」は前腕の動き=肘の動きと連動されています。

「体幹系」のピッキングの見かけの動作は主に3タイプあり、
肘の動きを中心に、
・手首の関節の動きが目立つタイプ(日本ではお手本と言われるタイプですね)
・そのまま肘の動きが目立つタイプ(黒人プレイヤーに多い様に思います)
・指先の動きが目立つタイプ(技術の高い人に多いです)
に分かれます。
必要エネルギー量は 手首<肘<指先 になります。
(手首、肘のタイプでも身体の癖で指先の動きが混ざる事もあります)

ついでに指導のミスマッチの例として・・・
私の動きは、肘と指の中間くらいで手首の関節の動きはほぼ出て来ません、
私が無理に手首の関節を使う事は、肘と指先が封じられ、
自分の良さを削りながら苦しい思いをして演奏する事になります。
また「お手本」が出来ない事に対して、自信を失ったり悩む事になります。

実際は、幸い褒められた事は合っても否定される事もなく、自信を失う事も悩む事もなかったですがw、
なんでだろうと考え込んだ事はあります。
若き私が本当に悩んだのはリズム感のギャップです、邦楽のリズミカルな曲ほどギャップがきつく、
特に技術が拙い頃は、難しい洋楽は演奏出来ても、簡単な邦楽のリズムが取りづらく、精神的にきつい事がありました、技術も上がりバンド活動する中でも言い ようのない違和感を感じながら演奏する事が多々ありました。

本題に戻ります。
最初から指先の動きが出ないタイプの人が無理に「指先ピッキング」をやろうとすると
単純にどんどん力んでしまうので、無理にしなくて良いと言います、
「体幹系」の要素が上がっ てくれば、勝手に出てくるかもしれないから待とうと(本当に出てくる人もいます)。

生徒さんがやって見たくて残念そうであれば、動作を教えたりします、やってみて実感して見るのも良い事です、失敗もまた経験です。

余談ですが肘を使う「エルボーピッキング」が否定されたり「痙攣させて使う」等の意見がありますが、
単純に肘が使いこなせていないだけです、使いこなせれば肘=前腕の動きは大きな武器になりますよ。
使えなければ上記の様な意見になるのも「まあ、そうだろうな」と思います。
システムそのものが違うのですから。

まとめです

簡単にまとめますと
私の技術論では、動作そのものよりも、
その人固有の「身体のシステム」(タイプ、癖)を分析し、よりその人に合った最適解を見つけていく事になります。
(その中に動作やメンタル面へのアプローチも含まれます)
そして「体幹系」の要素を使って「ギターに対する身体能力」を上げて行きます。

今のやり方を本格的に始めて10年、ギターやピックの選択、調整なども含め、そのためのノウハウが無数にあります。
ご紹介した事はその一端に過ぎません。

そして「身体の使い方」も大事な要素なのですが、
楽器(音楽)を演る上でもっと根本的に大事なものがあります、
ですが殆どの方がその部分が決定的に足りないです。
当然そこも鍛えていきます。

あとがき

私について少し・・・

私の身体のタイプは「体幹系」ですが白人や黒人と全く 同じなわけではなく、
一般的なアジア人の「体幹系」とも違います。

長く在籍している生徒さんには話したりしていますが、一般の人より身体や感覚(意識?)の使う部分が多い感じです、
使う部分が多い人は少ない人の真似が出来ます(使いこなせるかは別)その逆は出来ま せん、
実証出来ないので詳しくは伏せますが、こうした感覚が、この理論を構築していくのに役立っていると思います。

ギター講師になっていなければ、気づく事はなかったと事だと思います。
バンド活動で目立った成果を上げられず、多少の失意の中で始めた教室ですが、
大げさに言うと「自分が何者か」知る事が出来、ある種の納得感や清々しさもあったりします。

周囲とのギャップも含め色々思う事もありますが、
音楽で成功出来なかったのは才能が足りないからだ、と納得もしています、出来なかったからこそ今があるみたいな。

その代わりというか分析力の様な物に長けている自分に気づく事が出来ました。
実はこうした色々の理論の始まりの多くは「直感」なのです、突然曲が降りて来る様な物です、
閃いてから理論立て実験して考え生徒さんに提示して実証していく、
その閃きの部分が私のちょっと変な感覚が元になっている様に思えます。
あと私の特性は「音楽家」というより「研究者」なのかもしれません(子供の頃から得意なのは芸術系のはずなのですが・・・w)

ギターを始めた頃に思い描いた様なロックスターには未だ成れていませんが、
人生はままなりません、またこれから違っ た展開もあるかもしれません。

この様な身体感覚の違いがどれだけ世の中に認知され、今やっている理論にどれだけの価値があるのか分かりませんが、
生半可な知識では真似出来ないだろうと考え、部分的にですが公開する事にしました。
私を信じて通ってくれる生徒さんの為にも頑張ります。

調布のローカルな個人経営のギター教室からどれだけ出来るか。
多少の期待と不安がありますが、
願わくばより多くの人に認められ広められる事を目指して。

2022 7月
佐々木純二